今回は、当サイトへお寄せいただいた舞扇子に関する体験談をご紹介します。
西川流の日本舞踊で師範職となった女性のお話です。
・・・・・・・・・
叔母から西川流の日本舞踊を習い・・・
私の叔母は名古屋芸処西川流の師範職でその関係から女の子なのだからと行儀見習いも兼ね叔母から日本舞踊を習っていました。
十代後半で西川流の名取を許され20歳過ぎに師範職のお許しを頂きました。
30歳後半で結婚を期に京都府の福知山市に移り住み現在に至ります。
昭和31年生まれの私の膝は今では軽々と日舞を教える事もままならない状態です。
しかしながら芸歴だけは毎年の様に過ぎて行きもお45年以上になりますか。
実際に多感に踊り続けた頃を懐かしく思います。
最初に教えられたのは舞扇子の開き方
初めて舞い扇を持った頃、どうやって開くのか分かりませんでした。
無理に開けば壊れてしまいます。
師匠である叔母に最初に教えられたのは御扇子の開き方でした。
右手で親骨を持ち、左手は下から受ける様に持ち、右手で親骨の所を押すように開いて行く。
新しい御扇子はそんなに簡単には開いてくれず大変でした。
御扇子には色々な色・柄があり本来の竹に黒や茶の塗りの物もありますが最初に叔母から貰った御扇子はパール地に朱の波の様な柄に、金色が朱の周りに施された物でした。
要返しのお稽古
お稽古は週2回月8回、硬かった御扇子の骨も徐々に馴染みそんな頃になると日舞には当たり前の様によく使われる要返しの練習が始まりました。
日舞の御扇子には要の所に鉛が入っていて要返しや宙返し等がしやすい様に作られています。
出来る様になれば何という事は無いのですが、この要返しはコツを掴むまでが勝負です。
要より少し左側を持ち扇の先を内から回す指の運動にもなりますね。
何度も何度も扇を落とし、ぎこちないですが3日も練習すれば出来る様になります。
要返しを戻す時も又大変で、両方身に付けるには1週間程、どんなに不器用な方でもこれだけあれば出来る様になります、多分ですが。
ただ踊りながら要返しをして元に戻すとなるとやはりお稽古あるのみ。
日舞はどれだけ練習してもある程度年数が必要でこの年数が踊りの美しさやなめらかさを育ててくれます。
流派の御扇子
名取になると流派の御扇子を持つ事が許されます。
毎年京都の扇子屋さんより家元に流派の御扇子が届き、新年の舞扇として購入します。
お稽古用の御扇子は流派の家紋入り、新年の舞い扇は毎年絵柄の違う物です。
お稽古の御扇子は家元のお稽古場以外は自由です。
年に一度のおさらい会には名取一同新年の舞い扇で幕が開きます。
舞扇子選び
お稽古にも慣れ余裕が出て来ると御扇子もあれやこれや欲しくなります。
私は四季に合わせ御扇子を選んでいます。
花や山・ぼかしと言った感じで夏は色も涼し気な物、秋冬は紅葉や色使いのはっきりした物等々。後は自分の好みですね。
舞台での舞扇子
私が流派の名取を頂いた時、名披露でおさらい会の舞台は「連獅子」をやらせていて頂きました。
御扇子は金色地の真ん中に黒の牡丹の花が絵が描かれた黒塗りの物で舞台の出し物によって御扇子も違うので絵柄もかなり特殊な物になって来ます。
舞台に出るまでに使い慣れて置く必要があり、塗りの場合は普通の竹の物よりも滑りやいですので舞台で緊張と汗で失敗しない為に使いこなした方が安心と日々お稽古に明け暮れていました。
おさらい会の1カ月ほど前になると毎日がお稽古で完璧に仕上げて行きます。
当日一緒に名取を許された私より2年程芸歴の長い姉弟子さんが、親獅子で私は子獅子。
舞台の幕が開き大口と言う袴で踊っていた最中要返しをして戻しながら座り交互に進む所で姉弟子さんが御扇子をお袖に引っかけ落としてしまわれて、後見の方が素早く手渡されましたが冷や汗ものでした。
当日の衣装の事まで頭に無く起きてしまった事故でした。
要返しをいかに綺麗にしなやかに、そればかり考えて衣装の大きさまで気が回らなかったのしょう。
名披露と言う大きな舞台でのアクシデントもいい思い出になっています。
・・・・・・・・・
今回の体験談は以上になります。ありがとうございました♪
当店「山武扇舗」では、舞扇子を製造・販売しております。ネット通販でも扱っていますので、よろしければそちらもご覧ください。
また、ネット通販には掲載していない舞扇子も数多く扱っており、日本舞踊に精通した店主が各流派、踊りの演目に合わせた扇の御相談にも応じさせていただいております。