今回は、当サイトへお寄せいただいた舞扇子に関する体験談をご紹介します。
おばあさまに舞踊を習われていた女性の体験談です。
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祖母の影響で子供の頃に日本舞踊を始めました
25歳の女、大阪の堺市出身です。
日本舞踊は小さいころ祖母の影響でよく踊っていました。
幼稚園入園前に一度と、小学生の時に二度舞台に出ました。
とぎれとぎれではありますが、7~8年くらいやっていたと思います。
祖母は私が生まれるもっと前から日本舞踊を習っており、藤間流で名前もありました。
おばあちゃんの家に行けば、着物を着つけてもらったり、小道具を持ち遊んでいた記憶があります。
傘や扇子がたくさんあり、自分の好きな色や気に入ったものをよく持たせて貰っていました。
祖母との日本舞踊のお稽古の思い出
初めて踊った演目は「菊づくし」でした。小さいながらにいつもおばあちゃんの家に行き習っていました。
その頃から、練習の始まりと終わりは膝をついて挨拶をするのが当たり前でした。
その時だけは、おばあちゃんと孫ではなく、先生と生徒というような感じでした。
今でも初めて出た時のビデオは見ますが、お世辞でも上手ではない踊りでしたが、必死に踊っている姿に歓声が上がっていたのはとても覚えています。
緊張はなくとても楽しかったです。
小学生で踊ったのは「おさるのかごや」でした。
実際に人形を用意してくれ、見ていた方にもとても面白かったと強い印相を与えることのできた演目でした。
その頃は、もう大きくなっていたので可愛ければ良いというわけにいかなかったので、お稽古に必死でした。
小学生ながらに少しでもおばあちゃんに近づこうと必死でした。
もう一つの演目も名前は忘れてしまいましたが、傘を使ったものでした。
あの傘が昔から大好きで、おばあちゃんに傘の使える演目がしたいと頼んで教わった記憶があります。
舞扇子は祖母のものを使っていました
それからは自分自身も忙しくなり、練習時間がなくなり出る機会はなくなりましたが、おばあちゃんたちが出る盆踊りのプラカードを持ちテレビに出させてもらったり、おばあちゃんの演目の裏方でお手伝いをしたり、少しだけでしたが関わりはありました。
舞扇子はすべておばあちゃんのものを使わせてもらっていました。
練習用はすぐ手の届くところにあったのですが、高価で派手なものは隠してありこそり見つけては使って怒られていました。
それはそれは、金箔が散らしてあったり、細かい絵が描かれてあったりと素晴らしいものでした。
昔から日本舞踊が身近にあったためこれが当たり前だと思っていましたが、大きくなるにつれそんな経験をしている子は周りにはいないことに気づき、なんと良い体験をさせてもらっていたんだ!と身をもって感じました。
今思えば毎年くらい出ておけばよかったなとも思います。
今度実家に帰ったら、久しぶりに傘や扇子を探しに祖母の家に行ってきます。
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今回の体験談は以上になります。
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