今回は、当サイトへお寄せいただいた舞扇子に関する体験談をご紹介します。
高校時代に吾妻流の日本舞踊を始めた男性のお話です。
・・・・・・・・・
高校時代に日本舞踊を3年間習い・・・
僕は、東京都中野区弥生町で一人暮らしをしている23歳・男性、元々は鹿児島に住んでいました。
学校名は伏せますが、鹿児島にある高校のある学科では、日本舞踊が専門科目としてありました。かなり本格的な授業でした。
日本舞踊の経験は、高校の授業だけでしたので3年間だけで終えました。
流派は吾妻流です。授業として稽古を受けており、あまり深い知識までは勉強していませんでしたが、吾妻流は古くから伝わるかなり有名な流派だと、当時教えてくださった講師の先生は仰っていました。
使っていた舞扇子は・・・
舞扇子は、記憶では「あけぼのぼかし」というお扇子だったかと思います。
お扇子代は授業料の中に含まれていたので詳しくは分かりませんが、講師の先生が発注したと聞いています。
僕が通っていた高校の学科は、僕の代が13期生でしたが最初の代から男子が群青色、女子が赤色と決まっていました。
高校に入るまでは、日本舞踊とは全くの無縁だったので、初めてお扇子が手元に届いた時の感動が今でも忘れられないです。
お稽古の内容は・・・
稽古は週に1回50分でしたが、公演が近くなると、週に2時間~3時間の稽古時間になっていました。
講師の先生は2人いて、1人はお手本として前で踊り、もう1人は生徒たちを見ながら修正するところで止めたりしながら教えるという稽古でした。
高校の「レッスン室」という教室で稽古をしており、教室の正面は一面鏡張りでしたので、自分たちの動きも確認しながら稽古をすることができました。
卒業公演で踊った演目「豊か」
先ほども書きました公演ですが、1年に1回「卒業公演」という、僕が通っていた学科(コース)で作り上げる公演がありました。
僕が、日本舞踊をしてきた中で一番思い出として残っている演目は「豊か」というものです。
この演目は、昔の農民の姿を現しているもので、舞扇子を使って、鍬、鎌、盆といった農具や、風、雨、月といった自然、米俵などを表したりしました。
これは僕が高校3年生の時にやったものでしたが、僕は3年生時には男子1人になっており、それがひとつのチャンスとなりました。
最初は男踊りとしてセンターで踊り、中盤は女踊りということもあって舞台袖にはけましたが、演舞終盤でもまたセンターで踊り、僕ひとりだけ違う動きをして終わる。という、とてもありがたいものでした。
多分、これが僕の人生で一番最高な日本舞踊になると思っています。
それも、初めて手に取った舞扇子を使っての舞踊だったので、尚更当時は感動していました。
こんなにも素敵な経験をさせてくれた母校、そして日本舞踊には「ありがとう」の気持ちでいっぱいです。
・・・・・・・・・
今回の体験談は以上になります。ありがとうございました♪
当店「山武扇舗」では、舞扇子を製造・販売しております。ネット通販でも扱っていますので、よろしければそちらもご覧ください。
また、ネット通販には掲載していない舞扇子も数多く扱っており、日本舞踊に精通した店主が各流派、踊りの演目に合わせた扇の御相談にも応じさせていただいております。