今回は、当サイトへお寄せいただいた舞扇子に関する体験談をご紹介します。
今回のエピソードは、とある女性が日本舞踊をお稽古されていた頃の思い出が楽しく綴られております。
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花柳流での日本舞踊のお稽古
現在は川崎市在住の67歳主婦です。
私の日本舞踊体験は高校入学ごろから20歳ころまでの数年間でした。
初めは二歳上の従姉の家の近くの花柳流の女の先生でした。
自宅の和室を板の間に改造した稽古場で高校の帰りに立ち寄りお稽古していただきました。
従姉も通っているようでしたがお互いの時間が合わず、一緒に稽古することはなかったように記憶しています。
その後私は卒業まではその先生のもとで稽古にはげみました。
最初の先生との日本舞踊のお稽古
初めは15分ほどの短い邦楽曲や流行歌のような曲で練習し、徐々に長唄や清元など40分以上にもなる長い段ものへと進みます。
私はまだ若かったので憶える能力が今の何倍もあったようで、年上の他のお弟子さん達よりどんどん進んで踊りを覚えていけました。
その頃はデジタルではなかったので所作をやり直させるたびに小型のプレイヤーのレコードに先生が針を上げたり乗せたりと大変そうでしたが私にとっては長唄の三味線の華やかさと鼓の響きがとても気持ちよく舞を舞う楽しさを実感している時期でした。
花柳流のお稽古用舞扇子
練習用にと先生が購入して薦めてくださった舞扇は銀の地に桜だったかも。
初めは開くのも硬くてパシパシしていましたが毎日家でも練習に使ううちには開きがゆるくなり和紙も柔らかくなってしまいます。
私の家にお金の余裕はなかったので傷んできても新しい扇を注文することはあったかどうか。
二人目の先生とその後の希望
将来は名取になりたいと思い始めたのは、卒業して就職先が決まった頃でした。
お給料をもらえるようになるので、試験のための資金や練習用の浴衣ではなく発表会の着物も買えるようになるかもしれないと秘かに考えてました。
が、難しい願いでした。
会社に入ってからは会社の近所の花柳流の先生を見つけて仕事帰りに週一程のペースで通っていました。
ここの先生も自宅の居間を板の間にした小さな稽古場で先生のお母様と二人暮らしの優しい男の先生でした。
私が仕事で行き詰って練習をさぼったりして間が空いても、先生のお母様が火鉢で温めた甘酒をすすめてリラックスさせてくれたりとアットホームでした。
先生は踊り関係の男性にはよくいらっしゃるかもしれませんが日本舞踊の所作のせいか体が柔らかくて動きが女性的でした。
表で出会うと、あーら○○○子さん!て感じで、お顔はしっかり男性なので、そこのギャップが内緒ですがたのしかったです。
このころはカセットテープのラジカセでお稽古でしたのでやり直すたびに先生はストップとプレイのボタンをガチャッガチャッと何度でも。
現在はiPadかiPodとスピーカーかな。
続けていればそれもよかったかもと思うことも今はありますが、結局はお稽古だけではどこか虚しくなったのか他の事に興味が出来てしまったのか日本舞踊は辞めてしまいました。
最後の曲・娘道成寺とお気に入りの舞扇子
最後にお稽古していたのは娘道成寺でした。
その頃の舞扇もやはり先生のお勧めで選んでいたようでした。
その後大人になって、何度も京都に出かけるようになり京都の老舗で踊りをしていた頃を思い出して複数の舞扇を購入しています。
白無地に若葉の頃の緑のラインや、シンプルなものが今は好きです。初めの先生のところで習った藤娘の時に藤の花の舞扇を持っていたことを思い出しました。
美しい日本がぎっしり詰まった日本舞踊に再び挑戦したくなってきました。
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今回の体験談は以上になります。楽しいお話をありがとうございました♪
当店「山武扇舗」では、舞扇子を製造・販売しております。ネット通販でも扱っていますので、よろしければそちらもご覧ください。
また、ネット通販には掲載していない舞扇子も数多く扱っており、日本舞踊に精通した店主が各流派、踊りの演目に合わせた扇の御相談にも応じさせていただいております。